1. 生い立ちは

始めまして私は昭和26年8月27日(四緑木星年、二黒土星月、一白水星日)生まれで豊橋市神野新田町にて産声を上げ姉二人、弟一人の四人兄妹の長男。
1キロ先の保育園歩いて通い卒業し、小学校、中学校は夏休みや冬休みの日誌の宿題なんか一度もやったことがなく、すべて姉二女が下手な字をまねして代筆し無事に卒業し、地元の高校には成績が悪すぎるので受験を受けられず、県外の県立三ヶ日高等学校(いまは廃校)に合格した。

2. 高校時代は

年間50日以上通学途中下車をして山の中を探索していた。
いまなら退学かな。
一年生後夏に三ヶ日町のテキ屋の大将の所で土日徹夜のバイト人生。
その時に言われた言葉を今でも鮮明に覚えている。
それは「すべての事に(ハイ!)と言わなければ殺されるぞ」という言葉だった。
その甲斐があり、それ以降の人生が変わってきた。
高校時代の夏には暇さえあれば、オヤジの舟を借りて近くの海にアサリ捕りをして町に売りに行ったり、学校帰りに自動車解体業や豚カツ店での皿洗いのバイトに行ったりしていて、「ハイ!」のお陰でバイト料は普通よりも多めにもらっていたバイト、バイトの人生。
土日以外や暇なときはパチンコ通い、夜には近くの三河湾にしらす(ウナギの子)を仲間三人と取りに行き、その収益で麻雀の道具を買い、徹夜で麻雀や花札の修行をしていたので、勉強なんかしたことが無いから高校三年間、常に53番中53番の最下位を確保していた丸坊主人生。
その他は白樺湖のホテル山彦(いまは廃業)で二年生の夏休み、冬休み、春休み、三年生の夏休み、冬休み中、バイトバイトの人生。
お祭りがあればどこのお祭りにも顔を出し、酒を飲んだりして喧嘩をしたりして高校時代から飲んだくれ人生、喧嘩人生。
だからよく遊びよくバイトをしていた高校時代。
オフクロは月一度呼び出されていたが、当の本人は遊びとバイト人生まっしぐら。

3. 就職

高校卒業と同時に東京のフジフードに就職して一年も経たない内に退社したり、霞ヶ関ビル内の森永の喫茶店、日比谷の公園内にある高級レストランで出張バーテンダーをしていたり、湯河原のレストランに行ったりしていたのは、当時チーフが上がる(辞めること)と、一緒に着いていく習わしがあったから、常にあちらこちらに出没していたが、さすがに振り回されているのがイヤになり、地元の仲間から誘いがあり、名古屋市中日ビルの五階のレストラン(結婚式場がある)に勤めたり、地元のレストラン(ボーリング場やスケートリンクが備わっているスポーツセンター内)に勤めていたが部長との喧嘩が元で辞めてしまった。
その時、德が20歳の時に祖父が亡くなった。
亡くなる前の晩に祖父の枕元に呼ばれて「お前は喧嘩早いから、1分や2分焦るな」と遺言のような言葉。
高校時代から口癖のように「お前は上に立つ人間ではない」「女癖が悪いから手相を見るな」と耳にタコが出来るくらい言われてきた。
祖父は私の気性を良く分かっていたようだ。それもそうだ。祖父は神主と気学鑑定を仕事にしていたからだった。
魂が抜けたように德は22歳からパチンコ人生で一年間、毎日、蛍の光の曲が流れるまで打ちっぱなし、夜中には麻雀、その後は飲み屋、また朝9時に起きて、喫茶店に行き、マッチをもらいパチンコ店にまっしぐら、前日の看板台にマッチを置き、蛍の光の曲が終わるまで毎日毎日遊びほうけていた遊び人人生。
だがパチンコが電動になり始めてきたので、それいらいパチンコは卒業した。 だから鑑定に来る親御さんが相談されても経験者語るだから、「何でも飽きるまでやらせればいつか卒業するから」と言ってあげる。

4. 妻とお見合いで出逢う

オヤジたちはそんなぼんくら人生の息子を見かねたのか、なんとか真面目な人生を送らせたいのか、同じ村の自動車で一分足らずの四歳年下の妻になるべき女性とお見合い。
その前の晩に急にオヤジから
「公民館の横の家に行ってこい」
「何のために」
「お見合いだ」
「誰の?」
「お前に決まっているじゃぁないか」
「へ~ぇ」
て訳で明くる日の晩、言われた家に一張羅の背広を着て行くと妻になるべきオヤジさんとオフクロさんが待っていたかのように座って出迎えてくれた。
私、德はそのオヤジさんと意気投合してベラベラしゃべりっぱなし。
その間に妻になるべき女性がお茶を出してくれたが、見向きもせず一時間が過ぎたので「帰ります」と言って帰ってきた。
初めてののデートの時に「何しに来たの?」ときつい一発。
一年半過ぎた頃
オヤジが
「結婚するぞ」
「誰が」
「お前だ」
「誰と」
「決まっているじゃぁないか」
「どこで」
「地元の神社だ」と言うようにオヤジとお仲人と女房のオヤジさんとで着々と段取りを進めていた。
知らないのは当の本人德だけ。

5. 女房の三種の神器は

女房の三種の神器は花と計算機と飲んだくれの旦那をまともに育てること。
花は思ったように育つが旦那はそうはいかない。
計算機は常に借金だらけ。
仕事場を増改築したり、自宅を改造したりしているので、借金返済のためにいまでも貯金は0円。
息子長男は「借金を返してから死んでね」と言うが、後15年。
それはともかく若い頃は毎晩飲み屋に行っていて、遊びほうけて夜中に帰ってくるまで起きている。
旦那が寝るまで起きている。
そんな旦那を愛想も付かずに付いてきている。
いまの世の中ではとうの昔に離婚だね。
だが女房のオヤジさんは軍隊上がりのがちがちの堅物気質。
男に買い物篭を持たせてはいけない。
男よりも先に寝てはいけない。
男よりも後から起きてはいけない。
男にゴミ捨てをさせてはいけない。
女は男以上に出しゃばるな。
こんなオヤジさんだから良かったが、そうでなかったならとうの昔に離婚して女房は出戻ってしまい、私、徳は行く当てもない浮浪者になっていたかも知れない。
いまの社会が狂い始めたのは、女側の親が出しゃばりすぎているから、不倫や離婚だけでなく、虐待やいじめ、障害は犯罪、うつ病や引き籠もり、自閉症やアスペルガー症候群、サラ金問題、経営がうまくいかないなどなど。
当時は結婚したまではいいけど、無一文生活。

6. 三年間無一文生活

結婚してからの三年間の収入は農家だから稲作の収入は農協に入るが電気料や肥料代で残らない。
他に神職としての臨時に入るお金は無い。(まだ建設会社が地鎮祭を執り行うところが無かったので)
だから働けど働けど無一文生活だから、女房と二人で、鉄くず拾い。
「あそこに鉄くずがあったから拾いに行くぞ」と夜中に軽トラックに乗って拾いに行った。
それもあちらこちらに鉄くずや空き缶が落ちていた。
いまでは綺麗すぎたり整理させすぎたりしているから落ちていなかったり、ゴミ箱からアルミ缶を取り出だしたりすると罰せられるけど、昔はよく落ちていた。
明くる日、カンカン(自動車に乗ったまま重量を量る体重計のどでかいやつ)に計り、貯まってくると子供のミルクを買うお金だけ残し飲み屋に直行。
こんな旦那でも文句一つ言うでもなく、花いじりをしていた女房。
常に遊ぶことしか考えていない飲んだくれの旦那德と、常に旦那の身の回りの世話をして、ろくでもない夫をまともに育てようとする女房。
だがまだ命の絆の法則や健誠立命を知るよしもないが、その兆が見え始めてきたと後から分かるが、徐々に霊現象のようにどこからか訳の分からない声が聞こえ始めてきた。
このことを話しても誰も信じてくれないが、女房だけは信じてくれていた唯一の助け船。

7. 四人の子供と五人目の息子?

我が家の稼業は農業と漁業の兼業と神主(徳は鈴木家での十三代目、神主で言えばオヤジで四代目)と気学での鑑定で生計を立てている。
オヤジとオフクロは初めから德に期待も無く当てもしていないから、二つ違いの姉二女が結婚と同時に三軒前にオヤジ名義の土地に家を建ててあげ、姉二女を事務員として雇用した。
姉二女婿は長男なのに婿養子のように手なずけて住まわせた。
ゆくゆくはつぎの五代目の跡取りにしたいと思っていたようだ。
その二年後にお見合いで結婚した德は居る場を失い飲んだくれ人生。
息子長男(四緑木星年生まれ)と娘長女(三碧木星年生まれ)の二人の子供に恵まれたが、飲んだくれ人生になり、酒を飲むといろんな声が聞こえるようになってきた。
毎晩夜になると遊びほうけていたが、チャンと息子二男(一白水星年生まれ)の三人の子宝に恵まれた。
女房の躾で、子供たちは良い子に育ったが、一番手を焼いたのは五人目の息子だった。
五人目とは私、德のこと。
いつ帰るのか分からないのに寝ずに待っている女房。
飲んで酔っ払って帰れば障子を開けるよりも、障子に突っ込んで破ってしまうから障子は穴だらけ。
そんなこんなでオヤジやオフクロからは当てにもされず、勘当寸前だった。
それでもめげずに神主としての修行を積み重ねていたころ、建設会社が地鎮祭を受け持つようになった時、作法も綺麗だし、話しぶりも流ちょうだと思われたのか、次第に評判が評判になり、こんな德にも仕事が増えてきて、オヤジもオフクロも?‥‥‥?
それでも子供たち三人は素直にスクスクと育ってきた。
四人目の娘二女(七赤金星年生まれ)が生まれる前の年に、地元の神主が年老いたから、辞める話が沸き起こってきた。
町内会長がその代わりを探していると言う。
豊橋市でも五番目に位が高い神社だから、就きたい神主が何人もいるだろうが‥‥。

8. 四人目の娘二女が生まれた

神主や気学での鑑定の仕事が増え始め順調になり始めてきた矢先、地元の町内会長と役員数人がある晩やってきて「神社の官舎に移り住んで受けてくれないか」と頭を下げられた。
だが徳は祖父から耳にたこができるくらい「お前は人の上に立つ人間ではない」と言われたことが頭によぎったので、受けたくないとオヤジに言うが「受けた方が良い」と二つ返事で決まった。
オヤジの魂胆は、碌でもないどら息子がいなくなれば気兼ねなく、五代目を姉二女夫婦に託したいと思っていたようだからオヤジが二つ返事で承知した。
その時、女房は腹に四人目を身ごもっていたので、夫婦として官舎に移り住むことを拒んだ。
だが町内が何度も頭を下げに来られたり、オヤジたちの魂胆があったりして明くる年、七赤金星年に七赤金星月に待望の娘二女が誕生してから、四緑木星月に地元の神社の官舎に移り住んだ。

9. 命の絆の法則を伝授される

娘二女が生まれ神社の官舎に移り住んで社務をしていても、夜になると飲み歩いていた德は、前々から憑依霊に取り憑かれたので今まで以上にヘンな声を聞くようになった。
どこにいても何をしていても監視されているようになり始めてきた。
官舎に移り住んで七赤金星年、二黒土星月に天からなのかどこからなのか分からないが、德の話を聞いているように「そうではない」「その通りだ」と勝手に相槌を打ったり否定されたりして、四六時中のように聞き耳を立てて監視されているようになった。
だから余計に酒を飲む量が増えてきた。
それをオヤジやオフクロや兄弟子に話をすると余計にキチガイ扱いをされてしまい、相手にされなくなってきた。
そのうちに、「お前はそんなに焦り、そんなに荒立てているのだ」とどこからかハッキリとした声がした。
それは德が二十歳の時に他界した祖父だった。
それから毎日のように話しかけてくる。
その対話を書いた書籍は廃版にして封印してしまった。
なぜなら神社仏閣から弾圧を受けた書籍だから。
だが題名を変えて(命の絆の物語)を元に命の絆の法則として人に教え説くようになってから、オヤジたちからより一層キチガイ扱いされてしまい、オヤジからは「勘当だ!」「夫婦でこの村から出ていけ!」と何度も何度も言われ続けてきた。

10. オヤジとは師弟関係を貫く

オヤジは宗教で言えば四代目であり、親ともいえども師弟関係を貫いて接していた。
本部の例大祭に奉仕して宿舎に着いてもオヤジが残務整理を終えるまで先に食事を食べないので周りの神職たちは「先に食べてもいいんだ」「待っていなくてもいいよ」と言われるが、師弟関係を貫くためにオヤジと一緒に食した。
それは家庭内でも同じことで、8時過ぎても10時過ぎてもオヤジが食卓に付くまでいっさい食べない習慣があるから。
いま思えば師弟関係を貫いてきたことが徳の人生の中で一番いい思い出になっている。

11. 祖父母とオヤジが八白土星日に帰幽

そんなオヤジは七赤金星年、七赤金星月、八白土星日に帰幽した。祖父母も年月は違えど八白土星日に帰幽された。
命の絆の物語を伝授されてから九年後の七赤金星年に健誠立命を編み出していたので、「なぜ三人が八白土星日に帰幽されたのかと天に問いただした結果、まず霊璽や法名をすべて納めた。
なぜ霊璽と法名を祀っていたと言えば、鈴木家のルーツは紀伊半島の那智の神主(社家)の出であり、その分家なので跡を継げずに流れ流れて豊橋市に移住していたので神仏混合を祀っていたためだった。
まずそのすべてを納め、つぎに墓じまいをすることを決意した。
それが実行できたのが三碧木星年であり、その時は娘長女は嫁いでいて初めの女の子はすぐ生まれたが、後がなかなか生まれなかったのか作らなかったのは分からないが、納めてから二人目が生まれたと報告があった。
これが八白土星の健誠立命の意。
なぜ納めたかと言えば幼く亡くなった子や後妻の子など代々のお位牌や霊璽があるため、代々腰が弱く、オヤジはカリエスで五年間寝たきり状態だったから、すべて納めてから私と息子は腰の痛みが無くなった。 ちなみにオフクロは九紫火星年、四緑木星月、四緑木星日に帰幽した。

12. 息子二男と娘たちの家を知らない

いまは息子長男と一緒に住み一緒に仕事をしているが他の子供たちの家を知らないし雇用もしない。
そんなことを言うと世間では「かわいそうに」「捨ててしまったの?」「なぜ行かないの?」「孫も近づけないの?」と言われるが、「社長がのこのこと部下の家に行かないのでは」と答えるだけ。
妻も子供たちの住んでいる家を知らないばかりか携帯番号も知らないしラインもしないのは家族ではないから。
家族とは息子長男夫婦と孫三人が家族ではないのかな。
それを子供たち全員が家族だと思っている親が多いので、いろいろな問題が起きるのではないのかと思う。
これまでが私の経過である。
もう十何年前に仕事場の権限を息子長男に譲り、後の余生は息子長男と共に命の絆の法則と健誠立命を学ぶ人を養成するのみ。

13. 人としての最後の奉仕

私徳彦の生きてきた人生の生きざまを書いてきたが、いま命の絆の法則と健誠立命を主にして地元でのワークショップやオンラインでの講習をしてサポーターを養成することを目的にしていますが、九星気学や四柱推命を学んだ方は、少し戸惑うことがあるかも知れませんが気長に説明しながら導いていきます。
いままで何十年間、命の絆の法則と健誠立命を説いてきたが、例えば、癌を治すためや不倫や離婚問題、不登校やいじめ問題、うつ病や引き籠もり問題を解決するに当たり、起きた問題を直すのではなく、親兄妹の立場と順序を改めるだけですべてと言っていいほど解消することを教えるために最善を尽くしています。 先哲の知識やいままで解決してきた実例を元にユーモアを交えて説いていきますので、私以外のサポーター共々、ご気楽に問い合わせてもらえば幸いです。

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